物語と作品はイコールではないだろう。

 今現在、僕は、小説という表現媒体を武器にして、物語作品を生み出してどうにか勝負をしたいと思っている。それ故に小説でしか出来ない表現とは何かと考えているのだけど、どうもなかなか見つからない。しかしながら一つたたき台にできると思ったのが、ノベライズ・コミカライズ・アニメライズ・ドラマライズ(正しい言葉なのかはわからないけれども伝わるだろう)といったマルチメディア展開といったものから考えることなのだろうと思う。

 時代性なのかわからないけれども、世の中でウケている物語作品というのはビジュアルイメージを全面に打ち出している印象がある。例えば小説でもライトノベルは表紙絵・挿絵の持つ力は強いと思う。表紙絵・挿絵でキャラクターの姿形が一発で画像情報として理解できるものというのは、とても強く印象に残るものだと思う。

 小説という文章だけの媒体であると、様々な容姿を表す語彙であったり表現があるのだけれども、例えば「青」ということばでイメージするのは皆一様に同じ色の「青」ではなく、人によっては信号機の「青」のように緑がかった「青」であるかもしれないし、突き抜けた秋空のような「青」かもしれないし、透き通った深海の「青」であるかもしれないのだ。

 そういった受け手の感受性とこれまで培ってきた人生経験の差異と言葉の結びつけ(シニフィアンとシニフィエ問題)といったものが自由であるのが小説という媒体の映像的表現の面白みであると思うし、僕はそういう受け手が自由に自分の好きな絵的イメージを想起できるものが好みであるのだけど、一般的にはどうもそうではなく、不特定多数の人と、キャラクターや情景の共有をしたいという欲求が強いように思えます。

 というのも、二次創作の世界に触れて思ったのですが、これは同じ作品を好きな人が共通項を見出して、その同じ共通項と作品情報の固定化という前提条件があってこそ成立するものであると思うのですが、それを強烈に並列化/同一イメージ化するのに最適なのはやはり「ビジュアル」なのですよね。

 なので、小説でもライトノベルやシャーロック・ホームズなどの銅版画付きの小説というのはキャラクターの風貌がまずビジュアルとして受け手の大多数に共通項として心に焼き付くので、そこから同じイメージ想起点を発端とした妄想のやり取りというのができるっていうのが二次創作の楽しみだと僕は理解しているのですが、それは果たして絶対なのかと問われれば、僕はそうではないと言いたくなってしまう。

 そりゃメイン・キービジュアルがあったほうが一発で同じイメージを多人数で共有できるので強力なファン同士の共通項・前提知識として役立つと思うのですが、そればっかりだと、どうもおもしろみが無いと僕は思ってしまう。

 ここで、思うのは、物語はそれぞれ作品化するにあたって、適した表現媒体を持っていて、それから外れると「コレジャナイ感」がでるのでは?っていうことなのですが、特に、今の時代の受け手の好みというのは、「ビジュアル優先」「キャラクター優先」「キャラ萌えのための関係性(百合・BLとか)」だと思うのですが、それは安易にキャラクターというものを記号化してテンプレートとして消費しているように見えてならないのですが、僕はどうもそういうのが苦手らしい。

 それはそれで楽しみ方の一つでは在ると思うのですが、それだけじゃないでしょう物語が作品となる場合の可能性というのは!というのが僕の考えるところで、なおかつ僕の表現手法・演出手法に於いて弱いところでも有ります。

 小説のアニメ化・映像作品化においては、おそらくキャラ立ち・キャラ萌え・関係性萌えといったものにフォーカスを当てると、映像表現として映像映えと物語にコミットしやすくなるという物があると思うのですが、安易な表現媒体の変更というのは、相当に、原作がどのような意図でその表現媒体を選んだか?といったことを理解していないと難しいのではないかということです。

 物語を作品にするには、その物語を語る手法、つまり表現媒体の制約と利点・強みを演出技法として活きるようにするというものがあるのですが、どうもそれができていないものが散見される気がします。

 物語は作品ではないのです。物語はあくまで物語であって、他愛のないものも有ります。でもそれがいろんな表現媒体による独特な・固有の演出によって活き活きとし、作品としてできあがる。そして受け手に届いていくと僕は思っているのですがどうもその辺り、上手い原作改変といったものといいますか、成功事案を見たことがないです…。

 物語が作品になるということは、表現媒体によって物語のテーマも別物になるとおもうのですが、それは元となる原作作品の演出意図を組んで咀嚼してからではないと、膝を打つ作品にメタモルフォーゼすることはできないんじゃあないかなあというのが今日の雑記です。

おしまい。