小説:機人さんと自立支援医療

そのうち同人誌で売る予定の小説。

 

     クレイドル・1

 

 

 伊勢京太郎は、朝八時から十一時までの短い公園の清掃アルバイトを終えて、家に着いた。途端に、疲労感が襲って来た。

 疲労感の他に、名状しがたい不安感と焦燥感が襲って来た。まあいつものことだと、うんざりしながらも伊勢京太郎はそれを受入れ、医者から処方された抗不安剤であるデパスを一錠、ブリスターパックからぞんざいに取り出し、水と一緒に飲みこんだ。

 薬が効いてくるまで三十分はかかる。それまでひたすらに耐える。

 いつものことだ。これでも前より大分よくなってきたのだ。数年前までは軽いアルバイトをすることすらできなかったのだから。

 伊勢京太郎は、布団に潜り込み、うう、うう、と唸りながら薬効が現れるのを待った。次第に、デパスの薬効が現れ始め、今まで感じていた不安感や焦燥感が和らいでいく。デパスは、抗不安薬としての処方の他、睡眠導入剤としての処方もされる薬だ。

 伊勢京太郎は、普段はハルシオンやロヒプノールを服用しないと眠れないのだが、今日は疲れていたのか、いつのまにやら眠ってしまった。

 

     ………

 

 伊勢京太郎は、玄関の鍵が開けられる音で目が覚めた。ふと、枕元の目覚まし時計に目をやる。午後六時半過ぎだった。

「ただいまです。」

 と、若い女の声が玄関口から聞こえた。伊勢京太郎は、正直、布団から出るのが億劫だったが、同居人を迎えるため、えいやと気合を入れて布団から脱出し、玄関口まで迎えに行った。

 同居人で機人である椎名だった。椎名は少し青みがかった腰まで届く黒髪を揺らしながら玄関の扉の鍵をを閉めているところだった

「お帰り。シイナさん。」

 そう言って、笑顔で迎える。

「はい、ただいまです。………あの………?」

「ん?何?」

「………無理、してますね?」そう言って、椎名は、肩にかけていたエコバッグを床に下ろした。衝撃で、エコバッグからはみ出た万能ねぎが、くてんと折れた。「わざわざ私を迎えなくても、そのまま布団で横になって頂いてよろしかったのですが………。キョウタロウの生活をサポートするのが私の役目ですし。」

「いや、いいんだ、(椎名さんのためなら)平気平気。」

「いえ、全然平気じゃありません。私が、〈テレパス〉を使って、キョウタロウとリンクし、そこから送られてくるデータの分析によると、モニタリングしているキョウタロウの生体データはかなりお疲れであると示しているようですし、たった今、起床したばかりといった状態を示しています。頭もボサボサですし。………そろそろ切らないといけませんね。データは嘘をつきません。朝に飲んだサインバルタの薬効が薄れ始めてきて、脳内のノルアドレナリンとセロトニンの濃度が薄くなっています。」

「まあ、そりゃ化学的にはそうなんだろうけど、そういうものだけで僕の鬱病が説明できるわけでもないわけだからさあ、まあいいじゃない?髪もまだ切らなくても。めんどいし。」

「いいえ、キョウタロウの健康状態を把握し、生活をサポートすること。それが私の仕事ですから。無理はしないでください。あと髪は切ってください。そのほうが見栄えが良いです。」

「じゃあ、シイナさんが切ってくれる?」

「またですか………。仕方ありませんね………。」

 そう言うと、椎名は、まったく困ったものだといった感じで、眉をひそめて、ため息をついた。

 そんな椎名の様子をよそに、伊勢京太郎は、床に置かれたエコバッグを持ち上げ、

「まあ、とりあえず、飯を作るから。シイナさんは給電しといてよ。」

「まあ、そうですね。では、お先に失礼致します。」

 そう言うと、椎名は、バッグからプラグコードを取り出し、その一端を耳の後ろに設置されたジャックに差し込み、もう一端を家庭用電機コンセント百ボルトの穴に差し込んだ。

 その様子を見て、伊勢京太郎が、

「シイナさんさあ、それ、なんかこだわりでもあるの?今の時代なら、コンセントとプラグで有線接続しなくてもいいじゃん?ペアリングさえすれば非接触給電でいけるじゃん?二年前、初めて会った時は、非接触給電で充電してたし。なんで?」

「こだわり………ですか………。」

 椎名は、ピンク色のプラグコードに目をやり、さすり、指に絡めたりし、弄び始めた。

「まあ………そうですね。こだわりですね。」

「やっぱり、なんか給電方式が変わると気分も変わるわけ?生体組成ガイノイドだからかね?」

「さあ?どうでしょうね?」そう言って、椎名は目線を上げ、微笑んだ。「それよりも、秋刀魚、焦げてしまいますよ。」

「おっと!危ない!折角の旬のものが!」

 伊勢京太郎は慌てて、七輪から秋刀魚を載せた網を退け、秋刀魚をひっくり返した。

「少し焦げたけど………まあ、許容範囲だ。少し苦そうだけど。」

「まあ、食べるのは私ではないですし、問題無いですね。」

「なんだよもう、きついなーその返し。」

「だって本当のことですし。私を構成する生体組織の維持には、コレで十分ですし。」

 そう言って、椎名は、伊勢京太郎の薬が入っている引き出しの一段下の少し大きめの引き出しを開け、スティックバー状の栄養補助食品と、ナノマシンのつめ込まれたカプセルを数錠取り出した。

 それらを経口摂取することは、彼女たち、〈機人〉の生体組織を維持するための、ごく一般的なことだった。

「とはいえさあ」伊勢京太郎は言う。「普通の俺らが食べてるような食品も少量なら食えるわけだしさ、何のための人工臓器ホルダーなのよ。使えるもんは使わんと。まあ良いから食いなよ。ちょっと焦げたけど美味いよ。旬のものだし。」

 椎名は、少し考えた後、

「まあ、そうですね。それではいつもどおり、少しばかりですがいただきましょうか。いい経験値になっているのは事実ですし、人間が美味しいと思う味を覚えれば、私もいつか、炊事を手伝えますしね。」

「まったくだね。いつかまた、シイナさんの手料理を食べてみたいもんだ………美味しいものをね………。」

 そう言って、伊勢京太郎は微妙な顔つきをした。

「………レシピはデータにあるので、そのとおりに作れば問題はないのですが………何故かうまく行かず………。」

「まあ、機人だからといって、なんでもデータどおりに行くわけでもないさ。それも個性ってことで。」

「そうでしょうか………。」

 このようなやりとりをしている間に、伊勢京太郎は夕飯を作り終えた。テーブルに食事を並べ始めた。味噌汁に秋刀魚。そして大根おろしと冷奴。椎名用には伊勢京太郎が食べる量の十分の一程度のミニサイズのそれがテーブルに置かれた。

「それじゃ、食べようか。」

 二人は、いただきます。と言い、夕飯を食べ始めた。

 と、椎名が、

「………焦げが苦い、イコール美味しくないというのはわかるのですが………」そう言って、箸を秋刀魚の焦げた部分からすべらせ、ハラワタを指し、「これって、美味しいのですか?なんとも癖が………」

「まあ好みだよ。シイナさんには合わなかったかもね。」

「でも、キョウタロウは美味しく食べているわけで………でも私の味覚センサは、決して美味しいものではないと認識しているようで………うーん………。」

 そう言って、椎名はしばらく考えこんでしまったのだった。

 その様子を見て、伊勢京太郎は微笑んだ。




              ◆


続きは小説家になろうにてお読みください。

http://ncode.syosetu.com/n1839cy/