パスピエが僕の中で幽世から現世に存在をのぞかせた日。

 本日、Zepp名古屋にて、パスピエのワンマンライブツアー「娑婆巡り」に参加してきたのだけども、多幸感がすごく余韻に浸っています。

 文章で伝えるのは難しいし、駄弁を以って語れる印象ではないので、なかなか筆が進まないのですが、それでも「すごいものをみた」という思いからブログを書いています。

 本日のライブでは既存の曲をライブアレンジにしたものが数曲有り、どれもジャズ・ファンク手的な色をしており、パスピエの音楽の多様性が更に広がったなあという印象でした。

 パスピエの曲を聴くとわかるのですが、ディスコティークなものから和風なもの、ポップなもの、そして、しっとりしたクラシカルな構造の曲といろいろな音楽のジャンルを横断しているのが特徴だと思います。そしてそれを支える演奏技術もさることながら、「表現力」というものが抜きん出ているなあという印象でした。

 「表現力」とはなにか?と言われるとそれは、彼らのステージングにあります。ただ演奏しているわけではない。ショーを魅せる、空間を作る。そう言ったものが伝わってくるのです。

 今回は二階指定席の最前列でじっくり俯瞰して見たのですが、ボーカルの大胡田なつきさんの演舞は言うまでもなく、演奏者皆の「演舞」といったものが見えてきたのでした。

 音楽以外にも表現というものはあり、ただ音楽を演奏するだけではないライブ。ミュージシャンというよりはパフォーマーといった方が適切なのかもしれません。音楽以外の方法で「なにか」を伝えることができている稀有なバンドだなあと思います。

 そして、ライブの途中、大胡田なつきさんが語っていたのですが、「自分たちは二次元的な存在だったのだけれども、新アルバム『娑婆ラバ』から三次元的なものになってきている」(大意)というのが実に興味深い話でした。

 確かに、パスピエは、デビュー以降顔出しというものはせず、それが妖しさにつながっており、それが少し非人間的な存在として存在していたと思います。そういうプロデュースの在り方だったのか、パスピエ自体がそれを望んでいたのかはわかりませんが。

 そのなかで、アッチ側の妖しい幽世の世界に居た彼らが、コッチ側の世界である現世に徐々に存在を移行しつつ在るというのが伝わってきました。

 その一端が歌詞の変化にあらわれていると大胡田なつきさんは言っていたけれども、歌詞だけでなく、演奏やステージングそのものが「コッチ側」の僕らの世界にコネクトし、受け手を巻き込んで音楽をつくり上げるということができるようになってきたというのが、パスピエの成長なのかなあと思いました。

 なんて、上から目線ご容赦ですが。とにかく面白い方向に転がっているバンドです。

 パスピエを知らない皆さん、ぜひお聴きくださいね。