WUG劇場版2の感想「続けること、続かせていくこと、そのために今を精一杯生きる事」

 Wake up,girls!劇場版後篇Beyond the bottomを観ました。僕の人生の中で、初めてスクリーンが涙で滲んだ作品だったので、ちょっとした感想を書こうかと。

 Beyond the bottom(以下BtB)は劇場版WUG前編の「青春の影」を受けてのお話であるので、単独で評価するというのもおかしいのかもしれないのですが、僕は「BtB」は、単独の映画として評価しても差し支えないだろうと思います。ですので、なるべく「BtB」に絞った感想になります。

 当然のごとくネタバレがありますので読みたくない方はそのままそっとブラウザを閉じましょう。あと、WUGの劇場版1やテレビシリーズの大体の話とか知らないとわからないこともあるともうのでそういう方に懇切丁寧に説明するって言う書き方はできないので(めんどくさいというか、それはこの作品の残念ポイントの一つではあるのですが…まあWUG初見だと辛い作りではあるのは確かなのです)ある程度WUG知識がある事を前提にして書きます。













 さて「BtB」冒頭は、前編で東京に出たものの、うまく行かず、再出発という形で仙台に戻ってきたところから始まります。各メンバーが暑さのなかだらけているのが印象的です。気を許しているということとリラックスできているということなのでしょう。(男の松田マネージャーがいるのに)

 仙台からの再出発ということで、グリーンリーブズの面々は、次回開催の「アイドルの祭典」に参加するために知名度を上げていき、ブラッシュアップしていく事を考えたようです。「アイドルの祭典」というのは全国各地のご当地アイドルが各地区の予選を突破して、最終的に日本一のアイドルグループを決めるという催しで、I-1陣営が運営しているわけなのですが、今回はオブザーバーであったI-1 clubも一アイドルグループとして予選で勝ち上がってきたアイドルグループたちと順位を競うという形式になっています。

 WUGメンバーとしては、勝ち上がるためにどうにか研鑽を積み、認知度をあげるといった努力が必要であるわけで、そういった中でメンバーたちはドブ板営業を始めます。一からホントやり直しで、でも希望があるそんな描写でした。

 一方、前編に於いて、I-1でのセンター争いに敗れた志保は、センターを萌歌に奪われたものの、白木GMにチャンスを与えられます。それは「博多へ行って、新しいことをしろ」というものでした。

 ロッカールームで志保は、心配するI-1メンバーに大丈夫と答えるのですが、これが本当に「大丈夫」という意味であるのがすごく強いアイドルの言葉だと僕は思いました。

 さてそんなI-1元センター志保には三人のI-3研究生があてがわれます。そしてI-3の彼女らは、I-1初期の名曲「リトル・チャレンジャー」を歌い踊るのですが、それを観て、志保はアイドルであるということ、アイドルになった初期衝動と楽しさを思い出し、一緒になって踊ります。

 ここ、ホント好きなんですよね。今まで、I-1を背負ってきた志保にはI-1のメンツを守ると言った重圧と責任が自然とかかっていたはずで、故に、自分をじっくり見つめる時間がなかったと思うんです。でも、センターを解かれて、憑き物が落ちたような志保は、とても健やかに、のびのびと、したように思います。そういう環境に置かれたからこその「原点回帰」ができたということなのでしょう。なんにせよここで、I-1の志保が可愛くて仕方なくなるところだと思います。

 「トップアイドルだって、一人の人間である」そういったものが出てきたのだと思います。

 さて、そんな中、WUG一行は古い車を買い、夏休みを利用し、全国行脚の旅に出ます。全国でライブ活動をし、ファンに会いに行くアイドルという形をとって。

 そうした活動はアイドル界隈のファンたちにもネットで話題になり、注目度を増していきます。

 この辺り、僕はちょっと泣きそうでした。彼女たちがとても真摯であったから。小さなことからコツコツと、未来を信じて目の前のことをしっかりとやり続ければ何かが変わるはずという信仰心のようなものを感じて。それはすごく素敵だなと。

 WUGはその全国行脚中にニュースでI-1志保がセンター争いに敗れて博多に左遷されたと知るのですが、島田真夢は、志保なら大丈夫と言い切ります。でも心配だったのでしょう。志保に会いに博多のI-1シアターに行きます。

 そこでの会話。すごくいいんです。お互いに戦友感が出ていて。志保の体型変化(トレーニングで絞った)にすぐに気づく島田真夢なんてすごくお互いをみているってことですし。あの何を考えているかわからない島田真夢が、志保のことをライバルとしてみているっていう証拠ですから。

 話は大分飛んで、男鹿なまはげーずとの対バンをするWUGやWUGらしさとは何かを考えるメンバーの話もあるのですが、一番のポイントは「光塚を選ぶか?WUGを選ぶか?」の二択を迫られた久海菜々美の話でしょう。

 久海は、最初から、「WUGは光塚に入るための通過点」と言っていました。でもテレビシリーズ10話に於いて、それは一旦保留にして、当座はWUGに専念すると宣言しました。その通りにWUGに専念するわけなのですが、父親から「光塚はどうするんだ?」と言われ、自身の最初に描いた夢と努力と、WUGという新しい夢とそのための努力といったものをどう両立できるものか?どちらかを選ばなければ中途半端になってしまうどうすれば…と悩みます。

 そんな変化にいち早く気づいたのが林田藍里でした。そして、林田はWUGメンバーの前に久海を連れて行き、久海は「光塚受験のため、WUGをやめる」と言います。悩みに悩んで考えた末の結論を言う久海の心境は計り知れないでしょう。でもWUGメンバーは久海の背中を押すことを選びます。それがWUGの一員としてできることなのだろうと。

 結局のところ、久海は、アイドルの祭典会場にあらわれて「WUG一本でやっていく」と宣言するわけですが、その間の涙をさそうシーンが多く、畳み掛けてくるなあと。

 アイドルの祭典でのロッカールームでは、志保が待っていました。そしてI-1も楽屋に入ってキます。「ちょっとした同窓会だね」と話が弾むわけですが、皆笑顔なんです。これから戦う者同志だけれども笑顔なんです。

 これは、お互いを戦友と認め合った仲でしか出来ないものではないでしょうか?僕はこの描写にぐっときました。

 そして、色々あって主題歌がながれつつエンディングなのですが…。まあ素晴らしいなあと。何が素晴らしいんだと今問われても難しいのですが、僕は直ぐに後篇のキャッチコピーである「真摯であること・正直であること・一生懸命であること」というワードが脳裏に浮かびました。そう、真摯なのです。そして正直であり、一生懸命で在り続けることが、芸能というものに感動を与える演者達の心持ち・生き方なのだろうと思いました。そしてWUG BtBはそれが描けていると思います。

 芸能や娯楽というのは人を熱狂させ心を豊かにさせますが、一過性で儚いものでもあります。人の興味は移ろいやすいですから。でもそんな世界でも、芸能、娯楽といった儚いものを形あるものとして連綿と続く歴史として作り上げるといったことを皆していて、先人のそれが今の自分達に力を与えてくれるというメッセージは、とても尊い。

 白木GMなんかはそういうことを意識してI-1をプロデュースしているのではないでしょうか?そう考えるととても芸能を裏から支える(演者としてではなく記録者・企画者として)というのもひとえに「芸能」に対する情熱と、「先人から受け取ったバトン」を次の世代に渡す。そういった心意気を感じます。

 と、とりとめもないまま感想は終わりますが(だって咀嚼しきれてないし疲れるので…)とにかく、WUG BtBは、「バトンを繋いでいくことの大切さ」を示した作品であるなあと思ったのが僕の一番最初の感想です。これから何度か見ていく内にまたいろんな気持ちが湧いてくるのでしょうが、まあそれは楽しみにとっておくことにして、とりとめもない感想はこの程度にしておきます。

 特にオチのない感想ですみませんが… ね?